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札幌地方裁判所 昭和40年(む)122号 判決 1965年2月15日

被疑者 上杉こと飯村平 外二名

決  定

(被疑者氏名略)

右三名に対する各詐欺被疑事件につき、昭和四〇年二月一二日札幌地方裁判所裁判官猪瀬俊雄がなした勾留請求却下の各裁判に対し、札幌地方検察庁検察官から、いずれも適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各申立は、いずれもこれを棄却する。

理由

一、本件準抗告の各申立の趣旨およびその理由は、いずれも末尾添付の札幌地方検察庁検察官設楽英夫名義の各準抗告申立書写記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

二、札幌地方検察庁検察官が、被疑者三名に対する各詐欺被疑事件につき、札幌地方裁判所裁判官に対し、被疑者三名に、いずれも刑事訴訟法六〇条一項二、三号に該当する事由があるとして、各勾留の請求をしたところ、同裁判所裁判官猪瀬俊雄がいずれも右事由が認められないとして、右請求を却下したことは記録上明らかである。

三、ところで、札幌地方検察庁から取り寄せた捜査記録によれば、被疑者三名が、いずれも勾留請求にかかる各被疑事実につき、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があることが認められる。

四、そこで、右捜査記録に基き、罪証隠滅および逃亡をすると疑うに足りる相当な理由があるとする本件申立の各理由につき、以下順次当裁判所の判断を示す(なお、被疑者三名に対する右申立の理由は、その内容においていずれも同一であり、これに対する当裁判所の判断も、特に被疑者ごとに異る事情が存在しないので、以下一括して判断する。)。

1.申立書第二項の(1)ないし(3)記載の理由について

所論は、要するに、(1)本件各事犯は、各被疑者個人の単独犯行であるとのみ見るべきものではなく、他の多数の者と共謀の上行われたと思料される(前記各申立書写添付の被疑者等に対する各被疑事実の記載参照)。すなわち、本件事犯の性質および種々の事情を考えあわせれば、被疑者等は、いずれも第一小型ハイヤー労働組合という組織の一員として、互いに同様の立場にある多数の者と共謀の上、計画的に本件各犯行に至つたものであると推測するのが自然である。(2)本件各事犯においては、被疑者等の稼働の事実の有無、稼働の実態、収入額の確認、その使途の状況等が犯罪の成否および情状に重大な関係を有するところ、右の事情を捜査するため多数の参考人を取調べる必要があり、その中には被疑者の妻等の家族も当然含まれる。(3)従つて、これら多数の共犯者と見られる者および参考人を取調べなければ、被疑者等の本件犯行の真相を究明し、適正な処理を行うことは不可能となり、ひいては、将来、犯罪事実を立証するに足りる証拠の保全すら期待できない。しかるに、右多数の共犯者と見られる者(未逮捕者もある)および参考人は、いずれも前記組合に属する者か被疑者等の家族である等、被疑者等と極めて密接な関係を有し、利害関係を共にする者達である。よつて、今直ちに被疑者等を釈放する場合には、これらの者と通謀し、またはこれらの者に働きかけて罪証隠滅を行なうおそれは極めて大きい。というにある。

たしかに、被疑者等が同一の労働組合に属し、本件各事犯において、ほぼ同様の行動をとつていること、本件各事犯の動機、態様、日時等がほぼ共通のものであることからして、本件が検察官指摘のごとき組織的背景のもとに企てられた事案:であり、被疑者等が、互に他の被疑者の犯行につき、共犯者としての立場にあることを推測させる一連の情況資料の存することは否定しがたいところである。したがつてまた、現在逮捕されていない他の組合員も、被疑者等の犯行に加担しているのではないかとの疑が存する旨の検察官の主張も、一応納得出来なくはない。

しかし、あらためていうまでもなく、特定の構成要件に該当する犯罪事実についての有罪・無罪を明らかにすることが刑事訴訟の最も重要な第一次的課題であることはおそらく何人も異存のないところであろう。してみると、右のような有罪・無罪についての基本的な判断を誤まらせるおそれがないかぎり、みだりに、事件の背景的事実に関する取調の必要のために、身体の自由の保障をゆるがせにすることは、ただに公判段階だけでなく、捜査段階でも、特段の事情のあるばあいを別として、許容できないものと考えられる。このような見地に立つて、この事件のばあいを考えてみると、つぎのような理由から、被疑者等の身体拘束を継続するまでもないと思うのである。すなわち、被疑者等が釈放されると、右にも述べたような組織的背景との関係で、あるいは、組合員としての連帯感にもとずいて、共犯者とみられる他の者とのあいだで通謀工作などを図るおそれのあることは、たしかに、推測するに難くない。しかし、この事件の犯罪捜査と今後予想される立証活動のうえで、一番重要な地位にあると思われる福祉事務所関係の職員ないし被疑者等が生活保護を受けながら稼働していたとされている各会社の職員などは、司法警察員の取調に対し、かなり明瞭に詳しく被疑者等が現に嫌疑をもたれている犯行に関係したもろもろの事実を供述しているのである。それゆえに、検察官が懸念しているように、被疑者等が共犯者とみられている者との間で通謀工作などを企てたとしても、本件被疑事実の存否および犯罪の成否についての判断に誤認をもたらすおそれをきたすとは即断できない。しかも、検察官が捜査の必要を力説しているこの事件の共謀の実態についての綿密な取調をするには、主に、被疑者等もしくはその共犯者とみられている者の供述に依存しなければならない度合がきわめて高いものと考えられるのであるが、この事件の関係被疑者等が、ほとんど申し合わせたように黙否の態度をかたく保つている点とにらみ合わせると、被疑者等を勾留することによつて、検察官の考えているような取調にどの程度の期待をおけるかはなはだ疑わしい。このようにみてくると、これ以上、この事件の背景的事実の実態を見きわめる必要があるからといつて、被疑者等を勾留することは許されないと考えられるのである。

また、所論のいう、本件各事犯における家族(結局において被疑者等の妻であろう。)の参考人としての重要性は、一応もつともである。ところで、被疑者等のばあい、一応、その稼働状況、収支状況を明らかにする目的で、司法警察員は各被疑者の妻を取調べている。もちろん、その供述調書の内容をみると、検察官が関心を寄せている騙取金員の使途などについては、ほとんど何事も明白になつていない。さりとて、同女等がことさらにその点を秘匿していると考えられる事情も見あたらない。一方、稼働状況などに関しては、十分とはいいきれないまでも、一応その事情を明らかにした供述記載があり、はたして、これ以上、同女等を取調べることによつて、すでに供述している範囲をこえた重要な事実の発見を期待できるかどうかはすこぶる疑問である。かりに、この点について、多少でも重要な供述を得られる見とおしがあるとしても、すでに捜査ずみの資料で明らかになつている事実の域を出た新事実を発覚できる手がかりをつかめるものとまでみることは到底困難である。おそらくは、せいぜい、いままでの捜査の過程で判明している事実について裏ずけ資料を確保できる程度と思われる。とすると、この程度のことの捜査のために、被疑者等を勾留するということは、罪証隠滅のおそれを勾留理由に掲げている法律の趣旨を不当に拡大する結果になりはしないであろうか。いいかえると、強制捜査の許される限界をきびしく規制している刑訴法の精神からいつて、右に述べた程度の証拠保全の必要性は、いまだ勾留をみとめる理由とすることはできないものと考えるのである。

2.申立書第二項の(4)記載の理由について

所論は、被疑者等を釈放した場合には、従来の経緯から見て、本件各事犯の参考人に対し、被疑者等が集団となり、または他の支援団体と見られる者をも加えて、組織的に集団的圧力をかけ証拠を隠滅する挙に出ることも容易に推測しうる。というにある。

たしかに、被疑者等を含めた多数の者が、従来本件各事犯につき、その参考人と見られる福祉事務所の職員に集団的な交渉をした事実が認められることは検察官の主張するとおりである。しかしながら、所論にいう集団的圧力なるものが、具体的にいかなる行動を指すものか明らかでないが、少なくとも、従前の集団的交渉なるものが、直接もしくは間接に、罪証を隠滅する行為とは考えられない。もつとも、将来においても、所論の指摘するような集団的圧迫なる事態が発生するおそれがあるかもしれないことは一概に否定できない。しかしながら、被疑者等を勾留するとしないとにかかわらず、右のような集団的圧力が加えられる危険性には何らの消長もないと考えられる。少なくとも、被疑者等が右のような組織的圧力を指揮統制する立場にあるということについて、納得できる疎明が見あたらない本件のばあいには、検察官の主張するような理由で被疑者等に罪証隠滅のおそれがあるということにはならないと考える。よつて、所論は、採用することができない。

3.申立書第二項の(5)記載の理由について

所論は、要するに、本件各事犯は、いまだ捜査途上にあつて、事案の全ぼうが究明されていない。被疑者等は、完全に黙否している状況にあり、現存する証拠資料では、被疑者等の具体的行動を把握するのは不十分である。しかるところ、被疑者等から押収した証拠書類の記載を検討すると、その記載につき、何らかの証拠隠滅工作が行なわれたか、他に証拠書類が存在しているかとの疑問をはさまざるを得ない実情である。従つて被疑者等を釈放すれば、証拠隠滅工作が継続され、またはあらたにその工作が行なわれるおそれがある。というにある。

しかしながら、罪証を隠滅するおそれがあるとして、被疑者等の身柄の拘束を続行しうるためには、単なる抽象的な罪証隠滅のおそれでは足りず、罪証隠滅行為の対象および態様等につき、ある程度の具体性を備えていなければならないと考えられる。しかして、所論を検討するに、所論のような証拠隠滅工作の存在の真否および証拠書類の存否等は、いまだ十分な裏付けを欠き、犯罪捜査に際し、捜査官が一般的にもつ一個の想定にもとずく主張に過ぎず、いまだ具体的な罪証隠滅のおそれを肯定する疎明があつたものとはいい難い。よつて、所論もまた理由がない。

4.申立書第三項記載の理由について

所論は、要するに、被疑者等は、捜査官の任意出頭の要求に応ずる可能性もなく、集団的組織の統制のもとに居所を移動する等、被疑者等に対し、適法な召喚手続をとることすら極めて困難となるおそれも大きく、かような意味において被疑者等が逃亡すると疑うに足りる相当な理由がある。というにある。

しかし、任意出頭に応じない際に、あらためて、法律上の手段を講じ得るのは格別、あらかじめ不出頭を予想し、これをもつて、直ちに勾留理由にいう「逃亡のおそれ」にあたるものとは考えられない。また、被疑者等がその属する組織の統制によつて、自己の居所を移動するおそれがあることを認めるに足る疎明資料はまつたくない。むしろ、記録上うかがわれる被疑者等の生活環境、経済状態等から考えると、そのようなおそれは、ほとんど想像できないという方が素直であるように思われる。よつて、所論は、採用できない。

五、以上のとおり、検察官の主張は、いずれも理由がないことに帰し、本件各勾留請求を却下した原裁判はいずれも正当であるから、本件各申立は、いずれも理由がないので、刑事訴訟法四三二条、四二六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 辻三雄 角谷三千夫 東原清彦)

(別紙 準抗告及び裁判の執行停止申立書―略)

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